朝日新聞 投書 その1
2011年 07月 22日
暇だったので、久しぶりにあちこち片付けていたら、ずーーっと前に朝日新聞に投稿して、掲載
された文章が出てきた。
タイトルは、「そろって新聞配達 親子触れ合いの場」
1984年(昭和59年)10月1日(月)のもの
「チリンチリン。今日も三台の自転車は、コスモスが咲く道を快走する。
小学校六年と二年の息子と三人で新聞の朝刊配りを始めて三ヶ月になる。
朝寝坊の三人にとって、毎日五時半起床のリズムに乗るのは並大抵のことではなかった。
雨の日はつらいものだ。全身ずぶぬれ、長靴にまで雨が入り、ペダルを踏むたびに
ピチャピチャ音をたてることもあった。しかし、このごろは、朝のひとときが、親子触れ
合いの場となっている。友達のこと、勉強、何年も習っている剣道と、話題がつきない。
田んぼから飛び出してくるカエルを追ったり、虹の美しさに自転車を止めて見入ることも
ある。
時には、だれもいないグラウンドで、百メートル競走をする。
昨今の青少年の非行は、生活のリズムの乱れが一因になっているのではないだろうか。
早起きをすると、自然に早く眠くなるので、夜のちまたをうろつく元気もなくなる。
新鮮な朝の空気は、食欲を盛んにしてくれるばかりでなく、精神衛生にもすこぶる良い。
考え方が前向きになるような気がする。
人間も動物なのだということが、近年忘れられていないだろうか。子供たちを、もっと
本来の生活のリズムの中にひき戻してやりたいものだ。
新聞を配り終え、帰る道で、子供たちの横顔を見ながら「三人一緒の朝刊配り、これが今、
かあさんがあなたたちにあげられる贈り物」と、いつもそっとつぶやいている。」
文章を書くのも好きなことの一つだ。
朝日新聞「声」欄への投書、これが最初のもの、次は、どんなだったっけ?
された文章が出てきた。
タイトルは、「そろって新聞配達 親子触れ合いの場」
1984年(昭和59年)10月1日(月)のもの
「チリンチリン。今日も三台の自転車は、コスモスが咲く道を快走する。
小学校六年と二年の息子と三人で新聞の朝刊配りを始めて三ヶ月になる。
朝寝坊の三人にとって、毎日五時半起床のリズムに乗るのは並大抵のことではなかった。
雨の日はつらいものだ。全身ずぶぬれ、長靴にまで雨が入り、ペダルを踏むたびに
ピチャピチャ音をたてることもあった。しかし、このごろは、朝のひとときが、親子触れ
合いの場となっている。友達のこと、勉強、何年も習っている剣道と、話題がつきない。
田んぼから飛び出してくるカエルを追ったり、虹の美しさに自転車を止めて見入ることも
ある。
時には、だれもいないグラウンドで、百メートル競走をする。
昨今の青少年の非行は、生活のリズムの乱れが一因になっているのではないだろうか。
早起きをすると、自然に早く眠くなるので、夜のちまたをうろつく元気もなくなる。
新鮮な朝の空気は、食欲を盛んにしてくれるばかりでなく、精神衛生にもすこぶる良い。
考え方が前向きになるような気がする。
人間も動物なのだということが、近年忘れられていないだろうか。子供たちを、もっと
本来の生活のリズムの中にひき戻してやりたいものだ。
新聞を配り終え、帰る道で、子供たちの横顔を見ながら「三人一緒の朝刊配り、これが今、
かあさんがあなたたちにあげられる贈り物」と、いつもそっとつぶやいている。」
文章を書くのも好きなことの一つだ。
朝日新聞「声」欄への投書、これが最初のもの、次は、どんなだったっけ?
by habuya-ruriko
| 2011-07-22 09:36
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